バレンタインデーだから…
YOKO
「ふぅ…」やっと荷物の整理も一段落。あとは業者に渡して、姉貴の家へ運ばれるだけ。
時計はもうすぐ午後4時、約束の時間までまだ余裕がある。出て行く支度は済んだし、
今夜の支度を始めようかな。ガランとした部屋、残ったのは彼のものだけ。
なんだか居場所が無いようで落ち着かない、でも、もうとっくに居場所は無かったっけ?
ふと、溜息。コーヒーを煎れて、煙草をくわえて、手荷物から化粧品を引っ張り出す、
なんだか、最後の悪あがきみたいに、居場所を広げて確保しようとしてるみたいに。
昨日、姉貴に電話したら、「何も明日じゃなくったって…、あたしも忙しいわよぉ」って、
そう、何も今日じゃなくったって…バレンタインだものね。
でも、私の決心はバレンタインだったからこそ。だったんだもの…
街がハートで彩られ、ショーケースに並ぶ数々のギフトも綺麗な包装で、なんだか特別。
友達と一緒に何となく眺めていて、(今年は何にしようかなぁ)って、いつも通りだった。
その時、雑貨の中に小さく並んだ箱、ちょっとしたアクセサリーなんかを入れて贈るケース?
それが目に入った瞬間、いつもとは違ってた。
今年のバレンタインがいつも通りじゃないって気が付いた。
彼と付き合い始めて、何回目? そんな事も忘れて、義理と変わらない贈り物。
選ぶのは楽しい、けど、初めてのバレンタイン、二度目の… あの頃とは随分違う。
喜んでくれる顔が見たくて、その日を待てなくて、そわそわして… あんな気持ちが無いの。
そうなったのって、去年? 一昨年? もうそんな事も覚えてない、当たり前の日。
バレンタインだから特別、あの気持ちが消えてる。
思いつきなのか、衝動なのか、決心なのか、どれも当てはまるようで、どれも違うような、
そんな思いを抱いて、その小さな箱を買いに行き、手にして戻ったのが昨日。
そう、今年のバレンタインデーは特別。
床に広げた化粧品を一つづつ、手にとる順序に迷いが無いように、私の心にも迷いが無い。
ルージュをひく手も震えない、上出来の顔。新しい服、新しい靴、いつもと違うヘア・アレンジ。
自分でもあっさりしてて驚くぐらい、時間を持て余してしまう。早めに出ると言っても、寒いし。
化粧品を片付けてしまったら、すっかり居場所が無くなって、コーヒーをひたすらゆっくり飲む。
彼への思いより、この場所で過ごした時間への思いが過ぎる。こんなにあっさりしてると寂しいな。
玄関のチャイムが鳴って、ようやく動ける…と腰を上げた、業者が荷物を引き取りに来た、
時間も丁度いい、運び出されるのは僅かな荷物だけ、送り状を確認して、引き渡す。
姉貴も今日は彼とのデート、すぐ近くだからすぐにでも…と思うのを諦めて、明日届くように指定。
「じゃ、お願いします。」と、玄関を閉めて、姉貴に電話を入れる。
「もしもし、今、荷物引き渡したから、明日の午後指定にしたからね。」
「えー! 本気で送ったの? ま、一緒に暮らそうって最初に誘ったのはこっちだけどさ、
あんたも少し考えてあげればいいじゃん、何もさぁ… 」
「ん、ごめんね。でもね、これしかバレンタインの贈り物を思いつかなかったのよ。」
「はぁ? ま、男女の事に口出しすんのは、あたしの主義じゃないからいいけどね。明日ね、了解。」
「ん、ありがとう、じゃあね。」
「ふぅ…」これで良し。時計がもうすぐ6時を指してる、そろそろ出よう。
待ち合わせはお気に入りのレストラン、ここへ一緒に来たのって何回目だろう。
彼が入り口の横で待ってるのが見える、手を振ってるのを見ながら小走り。
「ごめんね、待った?」
「いいや、今来たとこだよ。」
こんな調子が何回繰り返された? いつもと同じように席に着く、オーダーもいつもと同じ。
食後のデザートが終わって、コーヒーが運ばれて来る、テーブルに静かに置かれ、
二人の間にも静かな空気が流れる。
私は、あの小箱を差し出して「これ、バレンタインの」とだけ言った。
包装も何もしていない、その小箱、彼は何だと思ってるかな…
「お、ありがとう。開けていい?」彼の口の端には笑みが浮かんでる、ちょっとチクリとした。
箱を開けた彼は、しばらく困惑の表情、やっと一言。
「これって…」
「そう、それが私からの贈り物。バレンタインデーだから、特別なの。」
「でも、これって… どういう事なんだ?」彼の口調が少し強い。
「からかってるとか、衝動的にとか、そういうのは全く無いの、これが一番なの、ちゃんと考えたのよ。」
「ま、待てよ。お前、感情的に決めたんだろ、返すよ、馬鹿だなぁ。」
彼は箱の中にあった、合鍵を私の前に差し出した。
「ううん、本気なの。それに今日を選んだのも嫌味なんかじゃないの、いつも二人が当たり前だったから、
バレンタインデーだもの、一人の時間をプレゼントにしたの、もう、それ以外に贈るものが無くなったの。」
彼は、私が本気なんだとようやく呑み込んで、黙って差し出した合鍵を見つめてる。
ここが限界、私は席を立った。
「前に言ったじゃない、姉貴が一緒に暮らそうって言ってるって、荷物も片付けたから。」
もう、振り向けない、振り向かない。この気持ちは愛情じゃなくて、情なんだもの。
小走りで駆け抜けた街中、辿り着いたいつもの場所。
扉に手をかけて迷う、今日はきっと恋人同士ばかり… そんな中に…
でも、結局行き場が無くて、ゆっくりいつもより重たい扉を開ける。
「いらっしゃい、ん? 一人?」マスターの笑顔が少し痛い。
そんな私の顔色に気付いて、「ほら、ここ、いつもの席が空いてるよ。」と言ってくれる。
そう、そこは彼と喧嘩した夜、一人で居たい夜、ここへフラリと来たら座る席。
深い溜息をつきながら、腰掛ける、いつもは見ないメニューを眺めながら、心で深呼吸。
「バレンタインに一人なんて、大人だねぇ。」マスターがニヤリっと訳知り顔で言う。
つられて笑ってしまう、ちょっと不謹慎かも。
「違うの、彼に一人の時間をプレゼントしたの、バレンタインデーだから。」
「ほぅ、なかなかやるね。」スッと差し出されるいつものシェリー。
一口飲んで、いつもと違うシェリーのような感じ、こんなに辛口だったっけ?
「それが、また甘く感じる日が来るさ。」
そうか… 恋が終わった後のお酒って辛口なのか…
「本当はね、私が一人になりたかったの。バレンタインデーだから… っていうのに疲れたかな。」
「ホワイトデーのお返しを貰い損ねる贈り物だったな。」また、マスターが冗談を言って笑う。
「ううん、大丈夫。」
そう、大丈夫。ホワイトデーには、ここで一人飲むシェリーが甘いぐらい、
自分だけの時間に慣れた私が居るはずだもの。
それが、何よりのお返しだと思える。
バレンタインデーだから… 女一人で辛口のシェリーに酔える、今はそれが強がりでいい。