<今夜、このカウンタで>
夕海
いつもの通り、彼女は約束の時間に来ない。
慣れてる僕は、今更怒るつもりもない。
むしろ呼び出した方なんだから、ここはどっかり構えて待とう。
カウンタの、ほぼ指定席と呼べるスツールに腰掛けると、
すっかり顔馴染みのバーテンダは「いつもの」をオーダーする前にグラスを差し出す。
普段はあっさり空けてしまうところだけれど。
酔ってられない、今日は絶対。
彼女は最初から「誰か」のもので。
僕のものであったことは、一度もない。
出会った瞬間から、僕は恋に落ちたのに。
そして彼女は、いつでも「誰か」のもので。
そして「誰か」は頻繁に変わった。
ここで最初に会った時、まるで常連のように。
カウンタに一人腰掛け。
涼しい顔で、スプモーニ傾け。
そんな彼女の椅子ひとつ挟んだ隣の僕は。
どうしても彼女を見たがる右目を必死で抑えて、何気ない振りして水割りをひたすら飲み。
こんな場所でうまく口説けない自分に、何かチャンスがくればいいのにと、そう願っていた。
その時、からり、と小さな音と。
「あっ」
彼女の唇からこぼれた小さな叫び。
右目が追った、その先に。
小さな、銀の卵に、金の羽根。
「落とされましたよ」
意外に素早く、滑らかに拾いあげた僕は。
気障にならないよう、彼女に声をかけた。
けれど、彼女は声を出せずに。
呆然と、僕の手を見つめてる。
勇気をふりしぼって、正面からちゃんと顔を見てみると。
その大きな瞳に、涙を浮かべて。
そして微かに囁いた。
「要らないので、捨ててください」
「でもこれは」
そのリングから、落ちたものでは?
そう、言いかけて言えなかった。
彼女があまりにも、不安定に瞳揺らして、そしてつぶやくように言ったから。
「お願い……」
張り詰めていた糸が切れたように。
ぽろり、と涙をこぼした。
それが、始まり。
彼女はいつでも全力で恋をして。
だからその恋が壊れると、彼女自身も壊れてしまいそうになる。
そんな時、必ず僕を呼び出して。
ここのカウンタでスプモーニ片手に。
終わりゆく恋を、消化してゆく。
けれどあれ以来、ここでは2度と涙は見せず。
この店を出て、僕の家に入った途端に。
コドモのように泣きじゃくる。
抱きしめて、腕の中で泣き寝入りする彼女の頬に。
何度口づけたかわからない。
けれど、失うのが怖くて。
壊すのが、怖くて。
だから今も、彼女は見知らぬ誰かのもの。
「ごめんなさい、また遅れちゃった」
ふわり、と隣のスツールに腰掛ける。
彼女の指に、新しいリングが光るのを。
見ないふりして、気付かぬふりして。
ポケットの中、あの日の卵を握り締め。
最初の一歩を、僕は踏み出す。
「話が、あるんだ」
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